父親が故・石原裕次郎氏のファンであることを、かつてブログに書いたのですが(「スター」)、自分が考えていた以上に熱狂的な信者であったことに、最近改めて気付き驚いている次第です。
たまに実家に帰り、父親と話す機会があっても、はっきり言って共通の話題が乏しいので、
「大谷翔平、すごいよね」
みたいなネタで軽くお茶を濁そうとすると、
「たしかに、、、でもな、やっぱり裕次郎じゃ!!」
なんて返され思わずコケそうになりつつ、ふとリビングを見渡してみると、CDの特典に付いていた全身写真の布製ポスターが堂々と飾られており、以前よりも熱量がさらに増していることに、正直ドン引きせざるを得ませんでした。
話を聞くかぎりでは、デビュー当時に衝撃を受けて以来のファンらしく、彼のデビューは1956年であり、その後に長男として生まれたわけなので、
「よく裕次郎って名前にならなかったなあ」
と今さらながらにホッとしているところです。
ただ、裕次郎と名付けられなかったことについては思い当たる節があり、実は「裕也」という名前の、先に生まれた従兄弟が存在していて裕かぶりになるため、涙を飲んで裕次郎は断念したのでは?と推察しています。
ちなみにぼくは「陽一」という名前なのですが、名前の由来について両親と話した記憶はありません・・・
が、つい先日、石原裕次郎氏について調べていると、前述の彼のデビュー作の映画タイトルが「太陽の季節」であり、なんとその映画の公開日と誕生日が同じであったことを知ってしまい、
「やっぱり裕次郎かーい!」
とスッキリ半分、ガッカリ半分の複雑な気分になったものでした。
今後ともよろしくお願いします。
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命名秘話
2021年07月27日