いよいよワールドカップが始まりました。
興味のある試合はできるだけ観るつもりですが、正直なところ徹夜して生活リズムを崩してまで観ようとは思わず、夜中の試合は基本的に録画して観ています。
ただ世には、「スポーツはリアルタイムでなければ意味がない」という理論を展開し、結果として「リアルタイムでないのなら観ない!」とまで宣言して、夜通し観戦したために目を血走らせてフラフラになっている人がいますが、そこまでしてリアルタイムにこだわる理由が実はよく分からず、矛盾に満ちた「健康のためなら死んでもいい!」宣言と五十歩百歩のような気がしてなりません。
かつてスポーツは現地で生で観るしか方法がなかったものが、技術の進歩により映像で中継され個人に届くようになり、さらには種々のメディアに録画することまで可能となっていったわけです。
せっかくそのような技術の進歩の恩恵を享受できる時代を生きているのですから、その恩恵を全力でこうむりたい!と願うのは間違いなのでしょうか?
なお同様の疑問は医療における薬についても感じる部分で、薬による治療を「薬漬け」と称して嫌う人がいますが―もちろん不必要な薬を意味もなく大量に投与するのは論外です―はるか昔には薬そのものが存在しない時代や、薬があっても高価すぎて庶民には手が届かない時代があったことをかんがみれば、せっかくそのような薬を、特に日本では国民皆保険で比較的安価に服用できる時代を生きているのですから、その恩恵を全力でこうむりたい!と願うのはやはり間違いなのでしょうか?
さて話を「スポーツはリアルタイムであらずんば観るに値せず!」と断じる人に戻すと、そのさらなる発展系が、スポーツバーやパブリックビューイングで騒ぎながら観戦している人たちになるのかもしれません。
個人的には勉強や読書はカフェやファミレスでは集中できず、年末年始も神社やカウントダウンライブの群集の中で過ごすのは苦手なぼくには、まるで往年の街頭テレビの時代に逆行したような、スポーツバーやパブリックビューイングの喧騒には一生縁がないと思います。
そんなわけで夜中にあったワールドカップの試合は録画して観る派なのですが、ここで大きな問題となるのは実際に観るまで試合結果の情報=ネタバレを目にしないように注意することです。
スペインのリーグ戦ならまだしも、ワールドカップともなればテレビをつけるとたまたま見た番組でその結果が報じられている可能性があったり、スマホやパソコンではYahoo!ニュースなどは見なくても知り合いから、
「メッシ残念でしたね!」
のようにメッセージが送られてくることがあり、情報過多のこの時代はネタバレ地獄といっても過言ではなく、スポーツ録画派にとっては受難の時代になります。
おっと申し遅れましたがぼくはアルゼンチン代表のメッシを応援していて、詳しくは「電流」「サン・ジョルディの図書館記念日」などの回を参考にしていただけると幸いです。
しかしそれらの苦難をなんとか乗り越え、無事にネタバレを回避し録画の試聴を開始できた暁には、気になったプレイがあれば戻してスローで再生したり、トイレに行きたくなれば一時停止して用を足してきたり、ハーフタイムは余裕ですっ飛ばしたり、リアルタイムではまず不可能なことがやりたい放題で、まさに神にでもなったかのような万能感を味わうことができます。
でも本当に面白い試合というのは、不幸にも結果を知ってしまった後でもそんなことに関係なく十分に感動することができ、そしてそれはそれで懸命にプレイする選手たちを見ながらその先の運命をもうすでに知っているという、これまた神にでもなったかのような万能感を味わうことが可能です。
今後ともよろしくお願いします。
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リアルタイム
2018年06月23日