残念ながらというかお約束というか、ついに今年の春もイースターはブレイクしませんでした。
かつてはハロウィンとそんなに変わらない存在だったのに、なぜこんなに差がついてしまったのかといえば、一つにはイースターの場合は同時期にお花見という一大イベントがあり、タイミング的にイベントの需要が特にない、というのは挙げられると存じます。
ただ、それをかんがみれば、節分におけるイベントの座を豆まきから奪取した感のある恵方巻きは、相当なやり手だな~と一目置かざるをえません。
もっとも主婦の観点からすると、行った後の片付けが大変な豆まきに比べ、料理の負担が減らせる恵方巻きでは、「助かる」という点において勝負になっていなかった、という説もあります。
また最近ではドジャースに移籍した大谷選手がホームランを打った際には、ひまわりの種シャワーを浴びている場面を目にする機会もあり、豆まきは鬼に効果がないどころか、むしろ歓迎していると誤解すらされかねないのがマイナスかもしれません。
現に大きな神社で行われる豆まきイベントでは、著名人が投げる豆をゲットして福を手に入れようとしているわけなので、意義が逆転していると指摘されたら、もはや反論の余地はない気がします。
そんなわけで絶対王者的な存在に対して、その牙城を崩すというのは至難の業ですが、医学生の使う定番のテキストが、「イヤーノート」から「病気が見える」シリーズに変わっていると最近知り、かなり驚いてしまいました。
自分が学生だった当時は、日常的な勉強のお供として、そして国家試験対策として、「イヤーノート」を使っていない医学生はいないのでは?という程のバイブルだったのですが、今や「病気が見える」シリーズに逆転されているとのことで、なんだか「エヴァンゲリオン」で昨今では綾波レイよりアスカの方が人気がある、という事実並みにショックを受けた次第です。
ちなみに「イヤーノート」も「病気が見える」シリーズも、同じメディックメディアという出版社から発行されているので、どのみち医学生は同じ手のひらで転がされているカモであり、どっちが売れても出版社はウハウハで笑いが止まらないと推察されます。
なお「病気が見える」シリーズは、「病見え」と略されるそうですが、なんか違和感があるな~と個人的には思っていて、仮に自分が現代の医学生であったとしても「病見え」とは口にしなかった気がします、そう、あの「ドラゴンボール」で最後までブルマが悟空のことをかたくなに孫君と呼んでいたみたいに。
ではその違和感の正体は何かというと、、、
近頃では企業が「パーパス」という存在意義を掲げることが流行っているようで、「ミッション」などよりも上位に位置する概念のようですが、なんとなくカッチョいい感に欠ける気がしていて、それはひとえに「パンパース」を連想してしまうからでは、と愚考しています。
パンパースといえば紙おむつの代名詞的存在で、紙おむつといったら尿漏れであり、「病見え」に感じた違和感の正体は、尿漏れみたいな語感だったからのようです。
今後ともよろしくお願いします。
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イースター反省会
2024年04月30日