”バファリンの半分は、やさしさでできています”
誰しも一度は耳にしたことがあるフレイズではないでしょうか?
ちなみにそのやさしさとは、有効主成分であるアスピリンから胃を守るための成分のことを指しています。
少年時代のぼくにとってクリスマスイブ (☆)は、盆と正月と誕生日とこどもの日が束になっても太刀打ちできないほどの特別な存在でした。ただ今では夢のように幸せな魔法は解けてしまい、あの頃みたいな輝きは失われて、個人的に毎年作成している『1年で好きな日ランキング』では、かなり前にトップの座を明け渡してしまっています。
なぜに子どもの頃のクリスマスイブは、あんなにも温かく幸せな夜だったのか?自分なりに検討してみたいと思います。
ところでさらっと流してしまいましたが、現在の『1年で好きな日ランキング』の1位は大晦日が快走しています。大晦日のことばの由来は、晦日というのが月の最終日で、1年の最後の晦日だからです。以前に「土曜日は半ドンに限りまっせ」というようなことをブログで書いたのですが、ぼくが子どもの頃のクリスマスイブは、1年の最後の半ドンであり、まさに大半ドンと呼ぶに値する日でした。
ぼくにとって、”クリスマスイブの半分は、大半ドンでできていました”
ところが・・・
半ドンが半ドンとして半ドンであるためには、とても大切な大前提があります。
半ドンのアイデンティティ **とかレーゾンデートル ***に直結する死活問題です。
半ドンは、前の日が休みでは株価が大暴落してしまうのです。
金曜日が祝日で土曜日が半ドンだと、祝日・半ドン・休日と並んでしまうわけで、その土曜日はブラックマンデーなのです。
そうです・・・
平成元年からとある事情により、クリスマスイブの前日は祝日になってしまいました。
半ドンの魅力は緊張と緩和にあり、大半ドンともなれば、1年の学校生活という緊張を一手に引き受けての大緩和スペシャルです。さらに当時は前日に大掃除があって、1年のラスボス的雰囲気を醸し出していました。こいつを倒せばまさにゲームクリアで、翌日の終業式はエピローグ、その後は大半ドンの解放感でいっぱいのクリスマスイブが待っていました。
それが今や、前日は祝日。
もうここで1年の緊張の糸はぷつっと切れてしまい、昭和のような大半ドンのクリスマスイブを楽しめるはずもありません。「神は死んだ」のニーチェにならえば、「大半ドンは死んだ」というところです。
それでは、あの頃のぼくにとって、クリスマスイブの残り半分は何だったのでしょう?
今にして思えば、あの夜に特別な何かがあったわけではありませんでした。
目を見張るようなごちそうや、のどから手が出るほど欲しかったプレゼントや、笑顔でいっぱいのパーティーなどは記憶にありません。
それなのにあの夜が光にあふれ、やさしい温もりに満たされていたのは、きっとそれこそがサンタクロースからの贈りものだったのだと思います。
あの頃たしかに、彼はそこにいてくれたんですね。
「何だか読んでると頭痛くなってきた・・・」
という人はバファリン、ではなく、こんな日ですから「イブ」がおすすめです。
もちろんステマ ****ではありません。
今後ともよろしくお願いします。
そして、メリー・クリスマス。
P.S. クリスマスイブの半ドン気分を味わうため、12/24 (祝)の午前は臨時診療です。
☆ 厳密には12月24日の夜のこと
** 自己同一性
*** 存在理由
**** ステルスマーケティングの略