さて突然ですが、「社会死」という言葉をご存知でしょうか?
ご存知ないという方に説明するためには、その前にまず「心肺停止」と「死亡」の違いについて解説しておく必要があります。
たとえば事故などの際に、「発見された時には心肺停止の状態であったが、その後に搬送された先の病院で死亡が確認された」などと報道されているのを見たことがある人も多いのではないかと思います。
心肺停止とは、心機能、肺機能のいずれか、またはその両方が停止した状態のことですが、死亡の確認は医師でないと行えませんので、病院に搬送されて医師が確認して初めて死亡となるわけです。
ただ例外的に、ぱっと見て明らかに死んでいるというような状態の場合は、救急隊などの段階でも死亡と判断することが可能で(あくまでも判断であり、救急搬送や蘇生処置をしなくてもよいというだけで、確認はやはり医師が行います)、それが「社会死」と呼ばれる状態になります。
いちおう社会死には基準があり、「全身に死後硬直が及んでいる状態」「頭と胴体がつながっていない状態」「すでに白骨化している状態」などですから、この程度のつぶれっぷりでは仮に心肺停止の状態であっても、社会死には該当しないと思われます。
しかし字面だけだと「社会死=社会的な死」というイメージなので、今後その業界では生きていけなくなる程に社会的な信用を失ってしまったケース、と勘違いする人がいても不思議ではありません。
昨今は立て続けにそういう方が登場しているような気がしますが、近いところではあのデザイナーの方はお元気にされているのでしょうか?
と、そんなことを考えていたら、やらかしてくれちゃいましたね、フォルクスワーゲン!
どうやらディーゼル車の排気ガスを、試験の時だけ頑張って有害物質を減らすように作動し、試験にパスさせる不正なソフトウェアを車に搭載していたとか・・・
このニュースを知り、ギクッとして思わず身につまされてしまった大学生は、かなり多いのではないでしょうか?
かくいうぼくも大学時代は試験前のみ必死に勉強し、とりあえず試験だけは乗り切っていましたが、ひょっとしたらフォルクスワーゲンの仕業だったのかもしれません。
しかしこれでフォルクスワーゲンが失墜してしまい、トヨタが笑うことになるのは個人的にはちょっと残念です。
実はちょっと前にレクサスに試乗に行ってきたのですが、ここだけの話、すご~くヤな感じでした。
まずホテルかと見まごうばかりの高級な雰囲気に一瞬たじろぎ、その後の「やっとここまで、たどり着きましたね」とでも言わんばかりの上から目線の接客には、違和感しかありませんでした。
さらにスタッフの営業スマイルは実にうすっぺらいもので、それこそ必要な時にだけ中身のない笑顔が発動される不正なソフトウェアが脳内に埋め込まれている可能性があります。
ところで高級ホテルや旅館で前から疑問だったことがあるのですが、チェックインの時には別に頼んでもいないのに荷物を部屋まで運んでくれるくせに、チェックアウトの時には放置プレイというのは一体どういうことなのでしょうか?
もちろん頼めば快く運んでくれるのでしょうが、お土産を買ったりして荷物は来た時よりも増えている可能性すらあるのに、来た時には頼んでもいないのに積極的に運んでくれたこととは、今一つ整合性が取れていないような気がします。
以前に旅館に泊まった時に、部屋の担当の仲居さんにその疑問を素朴にぶつけてみたところ、
「たしかにそうですね・・・分かりました、明日のお帰りの時は私が荷物をお運びします!」
と宣言されてしまいました。
ほんのシャレのつもりだったので少し焦りましたが、とにかく問題の翌朝はやってきました。
朝からずーっとその仲居さんに部屋を監視されているような感じがして、なんだか落ち着かないまま時が流れていきました。そしていよいよ部屋を出ようとすると、待ってました!とばかり仲居さんが登場して華奢な体で荷物を運んでくれたので、とても申し訳ないことをした気分になってしまい、軽はずみな発言を反省しました。
そんな話をどんなマイナスなことでもプラスに変換してしまう知り合いにしてみたところ、
「ハハハ、そりゃ困るよね。まっホテルや旅館が来た時には荷物を運んでくれるけど、帰る時には運んでくれないのは、それは帰ってほしくないってメッセージなんですよ。いつまでも末長く泊まってて下さい、お客様♡ってね」
とプラスに変換してくれたので、今はそう思うようにしています。
とりあえず開院して丸3年になりましたが、もちろんまだまだ道の途中です。
当院が目指す道の先にあるのはレクサスのホスピタリティではなく、来た時よりも帰りにこそ積極的に荷物を運ぼうとするホテルや旅館のホスピタリティでありたいと思っています。
実際にはかえって迷惑かもしれませんが、要は気持ちの問題です。
今後ともよろしくお願いします。