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見えないチカラ

2018年08月21日

先日たまたま高校野球を観ていたら、打った選手が一塁まで走る途中で足がつったらしいのですが、装着していた白のレッグガードがかなり大きめだったこともあり、一瞬ギプスに見えたため骨折したまま試合に出ているのかと勘違いしそうになってしまいました。
そういえば地元の岡山県代表・創志学園の投手のガッツポーズが、打者へのリスペクトを欠く行為として審判に注意されたそうです。
ということは逆に最も打者をリスペクトした行為は何かといえば、
「あなたには敵いません」
と白旗を揚げることであり、それはつまり敬遠ということなので伝説の松井秀喜選手の5打席連続敬遠は高校野球的には問題なし、ということになりますね。
ちなみにその試合で松井選手のいた星稜高校は敗退しましたが、敬遠され続けた4番松井選手の後で一度も結果を出せなかった5番打者だった選手が、その後の人生でどう気持ちを切り替えて生きていったのかはとても気になるところです。
それはさておき高校野球について話している時、ひと周り程違う先輩から
「高校野球といったら、やっぱり岡山南から巨人に行った川相だね。エースでバッターとしても中軸を打ってて、それで巨人に入ったんだから同世代のスターだったよ」
と言われ、ちょっとした衝撃を受けてしまいました。
というのも、ぼくは川相選手の高校時代のことは全く知らず、プロで活躍するようになってからの姿しか見ていないので、「バント職人」の異名を持つ彼は生まれた時からバットを振ったことがなく、ただひたすらに黙々とバントの技術のみをストイックに追求してきた人かと思っていたからでした。
というのはちょっとした冗談ですが、実際にはプロ野球に入るレベルの選手というのは高校まではエースで4番みたいな人たちばかりでも、ひとたびプロの世界に進めば自ずと自分の役割というものを認識せざるをえなくなります。
その結果、投手でいえば中継ぎで左打者専門になって「左殺し」の異名を持ったり、打者では打つどころか守備や代走が専門になる選手が出てくることも決して珍しくはありません。
おそらくそういう役割分担というのは強制されるものは少なく、その世界にいると自分の生きていく道というのがなんとなく分かってくるものと思います。
それで思い出すのが「働きアリの法則」で、働きアリの中でよく働いているアリと、普通に働いているアリと、ずっとサボっているアリの割合は、常に2:6:2となるそうです。
たとえばよく働いているアリだけ取り出してきても、しばらくするとその中から前述の割合に分化するそうなのですが、なぜそうなるのかは見えないチカラが働いているから、とでも強引に結論づけるしかないような気がします。
実はこれについてはぼくにも思い当たることがあり、高校まではわりと真面目に勉強をしていて、おそらく働きアリでいうと2割のよく働いているアリに属していたと自負しているのですが、大学生になってからはなんだかよく分からないまま全く勉強しないどころか学校にも行かなくなり、ものの見事にずっとサボっているアリの方に気付けば移籍していました。
もっとも、大学の時はずっと働いているアリ、普通に働いているアリ、ずっと遊んでいるアリの割合は、1:5:4くらいの印象でしたが・・・
そして先日、患者さんと話している際に
「妹が神社仏閣にはまっていろいろと教えてくれるんですけど、神社というのはお参りをするのなら頻繁に行かないといけないみたいで、中途半端だとかえって怒らせてしまうみたいですよ」
ということを教えてもらいました。
つまり神社=神様ってのは怒らせないようにしないといけない、くわばらくわばら・・・ということに落ち着くと思うのですが、それでふと長年の謎が氷解したので最後に報告しておきます。
あれはたしか小学1年生の頃、このブログにも何度も登場してくれている床君という友人(「ソチ・オリンピック」「ホームワーク」「一体どこまで」「もう少し待って」)と、学校から帰っている時の話です。
ぼくらの町内から学校までは約2kmあり、町内の近くには小さな神社があったのですが、すなわち学校からの帰り道だとほぼ最終コーナーといったところに位置していました。
ある日床君と帰っていて町内も近くなってきた時、ふと話しかけると彼が横にいませんでした。
あわてて後ろを振り返ると、もはやこの世の終わりのような顔をした床君がそこに立っていました。
彼はお腹に手を当てながら、
「もうダメだ、一歩も動けない」
と声を出すのもやっとのようなか細い声をなんとかしぼり出し、チラッと左に目をやったのでぼくもそれに合わせて右に目を向けると、そこはちょうど神社の前でした。
「ここでやってくるわ」
と彼は言い残すと鳥居をくぐって神社に入っていったものの、小さな神社なのでもちろんトイレなどはありません。
なので、神社内のどこか人目につかない場所を見つけ、緊急ゲリラ的野外ライブを決行するつもりなのは間違いはなく(野外ライブの意味についてはブログ「嵐の夜」をご参考に)、ぼくは何も頼まれませんでしたが見事な連携プレーで、不届き者が入ってきて彼のジャマをするのを鳥居の前で護ることにしました。
しばらくすると生き返ったようなスッキリとした表情で彼が登場し、そのまま一緒に帰ったのですが・・・
なんと彼はそこでの野外ライブがよほど気に入ったのか、その後一緒に下校していると、
「ちょっとやってくるわ」
としばしば神社に入っていくようになったのです。
ぼくも何度か誘われたような気もしますが、小さい方=路上ライブならまだしも野外ライブを、しかも崇高な神社でやる度胸はなく、なかなか彼と野外フェスを合同で開催する機会は訪れないまま時は流れていきました。
そして3月になり、1年生の終わりが近付いてきた頃のことです。
神社の前の川にも春の訪れが感じられるようになり、川を泳ぐ魚を見つけたぼくが
「あっ魚がいる!」
と声を上げると床君もそれに反応し、
「本当だ!」
と言ってそのまま道路に四つん這いになって、水面をのぞき込むような体勢になりました。
するとその時、ぼく自身もどうしてだか全く分からないのですが、なぜだか床君をそのまま頭から川に突き落としたい衝動にかられてしまったのでした・・・
それから気付いた時にはこの世に摩擦力という概念はないのか?と疑問を抱いてしまう程、つるんとスムーズに彼は真っ逆さまに川へと落ちていっていました。
そして驚くべきことに、本当にあの「犬神家の一族」のワンシーンのように下半身が水面から突き出た状態になってしまったのですが・・・正確にはぼくはこっちの方を先に見たので、後に犬神家の方を観た時にこの時のことを思い出した次第です。
もちろんその後は彼の驚異的な生命力と、近所の大人の方々の協力により床君は無事に救出されたのですが、川に落ちた原因を作ってしまったのはぼくなので、その責任をずっと背負い続けていました。
しかし本当にあの時は見えない何かに突き動かされるようにしてその行為に及んだのですが、このたびやっとその謎が解けてホッとしてます。
その現場の川はまさにその神社の前であり、きっと神様が彼の日頃の愚行に対するお仕置きのために、ぼくの体に乗り移ったに違いありません。
おっと、このエピソードはひょっとすると「床君へのリスペクトを欠く文章」として審判から注意されるかもしれませんが、その後も神をも恐れず野外ライブを敢行し魂の叫び、ならぬぽんぽんの叫びを解放し続けていた彼のことは、今でもリスペクトをも超越して崇拝すらしている程です。
今後ともよろしくお願いします。

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